赤毛のアン(2015)
前向きなアンと優しい人々、そして美しい自然
心が洗われる『赤毛のアン』の世界
1908年の出版以来、世代を超えて愛され続ける不朽の名作『赤毛のアン』。何度も映像化や舞台化され、すっかりストーリーを知り尽くしていても、何度でも見たくなる媚薬のような魅力が『赤毛のアン』の世界にはあります。
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【ストーリー】
孤児院で暮らしていた11歳の女の子アン(エラ・バレンタイン)が農夫のマシュウ(マーティン・シーン)と妹マリラ(サラ・ボッツフォード)のところへやってきます。働き手となる男の子を引き取るつもりだった兄妹は戸惑いますが、むげに追い返すわけにもいかず、アンに別の引き取り手が見つかるまで家に置くことにします。
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アンの魅力は逆境にくじけず、前向きに人生を切り開いていくところでしょう。
自分が望まれていないと知り、ショックを受ける一方で、新しい環境に胸を弾ませるアン。深刻な状況にも豊かな想像力を発揮し、ちょっぴり“不思議ちゃん”のような言動を見せるマイペースな姿が微笑ましいです。オーディションで選ばれたエラ・バレンタインが快活で自然体のアンを好演しています。
厳格なマニラとの衝突を中心に、優しいマシュウとの穏やかな時間や、親友ダイアナ(ジュリア・ラロンド)や学校でのエピソードなど、素朴で心温まるアンの日常が描かれています。
そして、何といっても心惹かれるのは、カナダ、プリンス・エドワード島の美しく、のどかな風景。心が洗われるような『赤毛のアン』の世界が堪能できます。
彼女が消えた浜辺(2009)
イランで大ヒットを記録した
人間のエゴに迫った心理サスペンス映画
本国イランでは2009年度の年間興行収入第2位を記録、ベルリン国際映画祭最優秀監督賞(銀熊賞)ほか、数々の賞に輝いた注目のイラン映画です。
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【ストーリー】
イラン人の主婦セピデー(ゴルシフチェ・ファラハニー)は友人とその家族を集めた3日間のバカンスを計画します。メンバーはセピデーの家族や、離婚したばかりのセピデーの友人アーマド(シャハブ・ホセイニ)、彼の妹ナジーの家族、友人の女性ショーレの家族、そしてセピデーの子供が通う保育園の先生エリ(タラネ・アリシュスティ)。
カスピ海沿岸沿いのリゾート地に着いた一行は、予約したはずのヴィラが満室で、海辺に建つ古びた別荘に泊まることになります。掃除をしたり、買い出しに行ったり、夕食を食べたり、ゲームをしたりする1日目の行動の中から、彼らのさまざまな状況や関係性が分かってきます。
セピデー以外、初対面のメンバーとの旅行に戸惑い気味のエリ、アーマドとエリの仲を取り持とうとするセラピー、エリについて詮索するメンバーたち。また、エリ自身も謎めいた行動を取る。小さなしこりはありつつも、一行は楽しい時を過ごしていましたが……。
2日目、1泊の予定で来ていたエリが帰りたいと申し出て、セピデーを困らせます。もっとアーマドとエリを近づけたいセピデーはエリを引き留めるため、浜辺で遊ぶ幼い子供たちの面倒を任せます。ところが、1人の子供が海で溺れる事故が発生し、面倒を見ていたはずのエリが忽然と姿を消してしまいます。
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溺れた子供を助けに海に入ったのか、強引に1人で帰ってしまったのか。どちらとも判断が付かないなか、人々が醜いエゴをむき出しにしていきます。
〈溺死〉という最悪の事態が考えられる状況で、1人で帰ったというエリのエゴを信じたい一行。しかし、彼女がそんなエゴイストなのか、セデピーには判断ができません。何と彼女が知っているのは“エリ”という愛称のみだったのだから。
セデピーを責めたり、エリに毒づいたり、果ては溺れた子供にまで冷たい目を向けたりと、責任の所在を探し始める一行。前夜の楽しい雰囲気が一転、家族間や夫婦同士でさえも罵り合います。
手持ちカメラで撮られたドキュメンタリー風の映像は、責任逃れや先入観という、人間に備わる卑しい本性を生々しく見せます。
なぜ〈セデピーがエリの素性を何も知らない〉ということが起こり得たか。エリ失踪の謎は、やがて伝統的なイラン社会の問題点に辿りつきます。
人間とイラン社会の衝撃的で悲しい現実が端正で的確な演出で伝えられ、観る者を圧倒します。
ダウト~あるカトリックの学校で(2008)
疑惑を抱いたシスターたちの苦悩
メリル・ストリープら演技派俳優たちが激突
あるカトリック学校で浮上した疑惑は、神父による黒人生徒への“不適切な関心”でした。
トニー賞やピュリッツアー演劇賞に輝いたジョン・パトリック・シャンリィの傑作舞台劇を、自身の監督・脚本で映画化。忌わしい疑惑に直面した人々の姿を通し、人間の本質をあぶりだすヒューマン・サスペンスです。
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【ストーリー】
舞台は1964年、ニューヨーク・ブロンクスのカトリック学校。厳格な校長のシスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は生徒たちにも新任教師シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)にも厳しく指導します。
一方、進歩的なフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)は快活で生徒たちにも人気がありました。
ジェイムズの授業中、学校で唯一の黒人生徒ドナルドがフリン神父から呼び出されます。その後、ジェイムズはドナルドの衣服をロッカーへ隠すフリン神父の姿を目撃します。そして、司祭館から戻ったドナルドが酒臭い息をしていたことから、フリン神父に疑惑を抱き、アロイシスに報告します。
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<神父が少年と不適切な関係を持っているのではないか>という疑惑の解明にあたる2人のシスターたちと神父との心理的な攻防がこの物語の見どころです。
「ドナルドが祭壇用のワインを盗み飲んだ」と自身の潔白を主張する神父、彼の証言を信じて安堵したジェイムズは、今度はアロイシスへ不信感を募らせます。
しかし、アロイシスはドナルドの母(ヴィオラ・ディヴィス)の驚くべき証言により、フリンの嘘を確信していきます。
敬虔なカトリック学校で起こった許されざる事態。スキャンダラスなわいせつ事件を通して見えてくるのは、’60年代という変革の時代を迎えたアメリカに生きるマイノリティの苦しみです。
旧来の道徳観と篤い信仰心を持つアロイシスは、疑惑を追究することで生まれる葛藤に苦しむことになります。その苦しみが明らかになるラストシーンは、演技派メリル・ストリープの真骨頂! もう1人、苦しみを受けるドナルドの母を演じたヴィオラ・ディヴィスも胸に迫る名演を見せます。
ほかにも、狡猾なフリンを緩急自在に演じたフィリップ・シーモア・ホフマン、純朴なジェームズを好演したエイミー・アダムスなど、4人の主要キャラクターが米アカデミー賞にノミネートされました。
何の確証もない“疑惑”に直面したとき、人はどんな反応を見せるのでしょうか? 追及するのか、それとも、逃げるのか。嘘や欺瞞が溢れる不透明な時代だからこそ、じっくりと自分自身に置き換えて考えてみたくなります。
アーロと少年(2015)
不安や恐怖を乗り越えた先にある素晴らしい世界
予想外の出来事に溢れた珠玉のCGアニメーション
愛すべきキャラクター、美しい映像、そして、心に染みるストーリー。ヒットメーカー、ディズニー/ピクサーによる珠玉のCGアニメーションです。
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【ストーリー】
主人公は、甘えん坊で弱虫の恐竜の子どもアーロ。しっかり者のパパと優しいママ、2人の兄、姉と共に穏やかに暮らしていますが、気弱で臆病な性格から何をやってもうまく出来ないことが悩みでした。
そんなアーロを見かねたパパは、アーロに大切なことを教えるため、アーロと共に夜の山へ向かいます。すると、突然、嵐に見舞われ、アーロをかばったパパは命を落としてしまいます。
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パパがアーロに教えたのは、「怖さを乗り越えることの大切さ」。怖さを乗り越えた時に、初めて見える景色は、なんと素晴らしいことか。それをアーロは、ひょんなことから出会った、ひとりぼっちの人間の少年とのサバイバルを通して、体験することになります。
本作は、予想外の出来事に溢れています。
まずは、恐竜が主役で、人間がパートナーという設定。恐竜は話すのに、少年スポットは野獣のように唸り、しかも四つん這いで移動します。原始的なゆえに真っすぐに行動するスポットの姿は痛快です。食べ物を手に入れたり、巨大な恐竜に立ち向かったり、大きなアーロより小さなスポットのほうが勇敢なエピソードは素直に笑えます。
そして、山や川、草木など、まるで本物のような大自然の光景に驚かされます。これは、「アーロの冒険がいかに危険か」を観る人が肌で感じられるようにするため、ということです。アニメ的な愛嬌あるキャラクターに対し、環境を徹底的にリアルに描くことで、ストーリーに臨場感と迫真性を生み出し、見応えある映画となりました。
自然の美しさや恐ろしさを見事に伝え、アニメーションを芸術の域に昇華させた映像は本当に必見です!
弱虫だけど、心優しいアーロ。粗野だけど、ひたむきなスポット。極度の凸凹ぶりがチャーミングな彼らの物語には、大切なメッセージがいっぱいあります。
勇気、友情、家族愛……。言葉を話さないスポットの姿は、未熟な先人が知恵と勇気で懸命に生きてきただろうことにも気付かせてくれます。
ちっぽけな人間にはまだまだ可能性が広がっている! 勇気と元気をもらえる作品です。
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タイムマシン(2002)
最新技術が可能にした激動の時間旅行
観る者を圧倒する渾身の映像が心を揺さぶる
1990年後半から急速に発展したCGによる視覚効果技術はハリウッド映画の隆盛を支えました。でも、2000年代にはいると、ストーリー性を欠いたCG多用の映画制作には批判の声も上がりました。
驚異的な映像を生み出すイマジネーションは賞賛に値しますが、マジカルな映像は“目”を楽しませても、“心”を揺さぶるまでにはいたりません。
そんなCG映画が過渡期に入った2002年、H・G・ウェルズの名作ファンタジー『タイムマシン』は公開されました。
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【ストーリー】
1899年、科学者のアレクサンダー(ガイ・ピアース)は婚約者のエマ(シエンナ・ギロリー)を強盗に殺されてしまいます。彼は深い悲しみの中で研究に没頭し、タイムマシンを完成させ、エマが殺された時間に向かい、彼女を救い出そうとします。
しかし、何度過去を変えても、エマの運命は変わりませんでした。希望を失ったアレクサンダーは未来へ向かい、超近代的な2030年を経て、恐ろしい姿に変貌した人類モーロック族が支配する80万年後の地球にたどり着きます。
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原作とはタイムトラベルの動機とクライマックスが異なるストーリーはシンプルにまとめられており、原作が持つ力強い文明批判は消え、物足りなさも感じます。
しかし、CG時代によみがえった『タイムマシン』の最大の意義は、神秘とスリルに満ちた時間旅行を実体として味わわせることでしょう。
見どころになるのは、驚異に満ちたタイムトラベルの道程と、脅威に晒された80万年後の地球の光景です。
まずは、何と言っても19世紀後半から21世紀初頭への時間の推移を超高速タイムスライス技術で描いたタイムトラベルシーンが素晴らしいです!
成長する昆虫や植物のクローズアップに始まり、神のような視点で捉えた俯瞰映像で終わる地球の変遷図は、緻密で精巧なうえにキャメラワークがよく練られており、鳥肌ものの興奮を味わいました。
また、邪悪なモーロック族が支配下にいるエロイ族を狩猟するアクションシーンもスリル満点。CGによりライブパフォーマンスに圧倒的な迫力とスピードが加えられ、身の毛がよだつほどの恐怖に駆られました。
目まぐるしく変わる地球上の光景はエキサイティングで、興味深い映像は尽きることがありません。
では、本作が目で楽しむだけの娯楽作か、といえば決して違います。
タイムトラベルの道程は文明の発展と自然破壊が表裏一体になっている事実をまざまざと見せつけ、80万年後の地球の光景は「現在」を疎かにする人間が受ける罪の重さを実感させます。
監督はH・G・ウェルズのひ孫として話題を呼んだサイモン・ウェルズ。CG造形には製作総指揮を務めたスティーブン・スピルバーグの意見が大きく反映され、2人の偉大なクリエイターたちからの“プレッシャー”を受けた実写映画監督デビューになりましたが、スプリット(分割)スクリーンで描き出したクライマックスの演出にピュアなハートを感じました。
19世紀と80万年後、たとえ環境は一変してもまぎれもなく同じ場所に、過去を振り返らずに未来を信じて生きようと決意する人々がいます。その穏やかで安らぎに満ちた光景が激動の時間旅行を意義深いものにしています。
ゲーム(1997)
フィンチャー監督のサディスティックな挑戦状
死を賭けたスリリングなゲームの行方
『セブン』(’95年)の陰鬱な映像と衝撃的なストーリーで一躍先鋭的な映画監督として注目を浴びたデヴィッド・フィンチャー監督が『セブン』の次作として発表したのは、またしても不穏な雰囲気が漂う作品でした。
テーマは〈死を賭けたゲーム〉です。
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【ストーリー】
冷酷な投資家のニコラス(マイケル・ダグラス)が48歳の誕生日に、長い間疎遠だった弟のコンラッド(ショーン・ペン)からプレゼントを受け取ります。
「もう何も欲しい物のない兄さんには楽しみをあげるよ」。そんなメッセージとともに贈られたのは、ゲーム会社の入会申込書で、自分自身がコマになってゲームに参加するというものでした。
その後、ニコラスのゆく先々で奇怪な出来事が起こりはじめます。それは一見スリリングなゲームのようでしたが、次第にニコラスは命を狙われるようになります……。
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「先の展開がわからないジェットコースタームービー」と銘打った作品は数々ありますが、本作はもうどこまで人間を追いつめられるかというフィンチャー監督のサディスティックな感性が生み出した観客への挑戦状にほかなりません。
フィンチャー監督は特殊技法を使ったグラフィックを使って、視覚的に恐怖心をあおっています。
そして、怪しげな役をやらせたらピカ一のショーン・ペンも適役で、これもある種の恐怖心を掻き立てる特殊効果といえるでしょう。
蟹工船(2009)
『蟹工船』のような世界はもう無くなってほしい
“自分らしい働き方”を勝ち獲る労働者たちの闘争
小林多喜二が昭和初期に発表したプロレタリア文学の最高峰『蟹工船』が2009年、映画化されました。
長引く不況により、労働環境が激変していた2000年代後半、原作小説は若者を中心に多くの人々の支持と共感を集め、2008年末には流行語大賞候補になるほどの一大ブームとなりました。
そんな若者たちに向け、『アンラッキー・モンキー』の奇才SABU監督が映画化した本作は、大胆な解釈で現代的にアレンジされたSABU流『蟹工船』となっています。
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【ストーリー】
舞台は洋上で操行中の蟹工船・博光丸。船内の缶詰加工工場では若い労働者たちが、軍国主義の浅川監督(西島秀俊)の指揮の下、過酷な労働を強いられていました。一日中、同じ作業を繰り返し、休むこともままならず、気が緩めばすぐさま暴行を加えられる劣悪な労働環境で、絶望した労働者たちは集団自殺を決行するまで追い詰められますが、あえなく失敗してしまいます。
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“糞ダメ”と形容される陰惨な船内、貧困家庭に育った労働者たちの悲惨な境遇、凄惨な暴行シーンなど、気分を落ち込ませる描写ばかりが続きますが、SABU監督は独自のポップな感覚や軽妙なユーモアを交えて、原作が持つ退廃的なムードを払拭しています。黒光りする作業着を着た労働者たちはオシャレにさえ見えます。
無知や若さのために、理不尽な支配に屈していた労働者たちが、自由と希望の存在を知り、一致団結して立ち上がる筋立ては原作どおり。ただ、労働者たちの行動は労使交渉の原型に過ぎず、すでに現実で実践されています。それでも動かない組織にどう対抗したらいいのか? そこが知りたいところだったのですが……。
厳しい社会ですでに働く人々にとっては、若い労働者たちの姿はまだまだ青臭く、物足りないでしょう。
しかし、小難しくて、とっときにくいという理由で原作を敬遠していた人々には、理不尽な社会への闘争と希望を伝えた偉大な小説への絶好の導入部になるに違いありません。
2020年以降、新型コロナウイルスの脅威は働き方改革を急速に促しました。再び訪れた “自分らしい働き方”について考えるべき大事な時期、原作は触れておきたい作品なのだから。
とにかく『蟹工船』のような世界が無くなることを切に願います。。。
西島秀俊が狂気の鬼監督を熱演する一方、労働者たちには松田龍平、高良健吾、江本時生、滝藤賢一などが扮し、男たちの熱いドラマをひたむきに演じています。