007 ワールド・イズ・ノット・イナフ(1999)
'60、'70年代の『007』スタイルを踏襲したドラマ性が魅力
マンネリズムの壁を越えたニュー・ボンドシリーズ第19作
たとえ不死身のヒーローであっても、人気や演じる俳優、興行収益などのトータル的な映画製作の観点からスクリーンにその姿を見せるのは、せいぜいパート3までが関の山でしょう。
製作者にとってクリエイティブなアイデアは尽きることはないのでしょうが、何よりマンネリズムを嫌うという観客側の人間心理が壁として立ちはだかるからです。
しかし、その壁を乗り越え、約60年もの間コンスタントに作品を提供してきた映画があります。イギリス国家のプロのスパイ、ジェームズ・ボンドの活躍を描く『007』シリーズです。とはいえ、『007シリーズ』も低迷期はありました……。
1999年に製作された本作は『007』シリーズ19作目。ボンドをシリーズ3作目になるピアース・ブロスナンが演じています。
’95年『007 ゴールデンアイ』で、オファーから15年の歳月を経て、5代目ボンドに就任したブロスナンは’80年代に陥った『007』シリーズのマンネリズムの壁を破った立役者でもあります。
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【ストーリー】
ジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)は組織から石油王ロバート・キング卿(デヴィッド・コールター)の高額な現金を取り戻すという任務を無事に終えます。
しかし、キング卿に返還した現金そのものが爆発するという大胆不敵な暗殺が実行されてしまい、MI-6内での暗殺と本部爆破という屈辱的な事態に直面します。
当初は原油の利権争いに絡んだ事件と思われましたが、テロリストのレナード(ロバート・カーライル)がかつてのキング卿の娘エレクトラ(ソフィー・マルソー)誘拐事件の犯人で、しかもMI-6によって致命傷を負ったことから、MI-6に復讐心を抱いているという過去が判明。思わぬ四角関係ができあがります。
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この複雑な関係がストーリーポイントになり、やがてレナードが核燃料を盗み出す第2の事件が発生すると、事態は世界征服レベルのものになってゆきます。
本作ではシリーズ初監督となるマイケル・アプテッドが起用されていますが、『愛は霧の彼方に』(’88年)、『ネル』(’94年)など、ドキュメンタリー映画で実力を発揮してきたアプテッドはまさに畑違いの大抜擢でした。
ところがこの起用は功を奏し、シリーズものの弱みを強みに変えました。
なぜなら〈世界では不十分だ〉というタイトル通りの世界を股にかけた壮大のスケールで展開するストーリーに、国際色豊かな実力派俳優陣は、一見最先端のアクション大作に見える取り合わせですが、アプテッドはあくまでも複雑な人間模様に的を絞ったドラマ性を重視しています。
また、最新テクノロジーの発展に乗じてスケールアップしていった定番のアクションも、CGではなく、実写で撮影し、できるかぎり俳優自身が演じています。この作風はすべて'60年代~'70年代に絶頂を極めた『007』スタイルを踏襲したもので、かえって本作が製作されるまでのボンド映画にはない新鮮味を与えました。
共演者もひねりの効いた顔触れです。ボンドガールには、すでにトップスターだったフランスの人気女優ソフィー・マルソーを抜擢。
敵役には、『トレイン・スポッティング』('96年)で注目されたロバート・カーライルが神経と感覚が麻痺し、肉体的な痛みを感じない屈強のテロリストを怪演しました。
アメリカでは、公開当時、MGM映画史上の大ヒットとなったそうです。
旧きと新しきを巧みに融合させるのならば、当分マンネリズムの壁は見えないだろう、と思ったことを覚えています。