映像革命は成し遂げられたのか?
過剰なまでに使われたCG技術の功罪
『マトリックス』シリーズ第3作となる本作は、映画公開時はその全貌が明らかにまるまで半年間待たされました。
シリーズ2作目の『マトリックス リローデッド』のエンディングはあまりに唐突でしたが、それでも結末が先延ばしにされたフラストレーションを期待に変えることができたのは、前2作で目の当たりにした独創性あふれる映像と斬新なアイデアの詰まったストーリーの再来を信じたからでした。
全世界で同日同時刻に公開を開始するという、画期的な試みも当然のことに思えた最終章『マトリックス レボリューションズ』。確かに革命は起こったのですが……。
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【ストーリー】
人類最後の地下都市ザイオンに人類滅亡プログラムセンティネルズの大軍が迫るなか、救世主として人類の期待を背負ったネオ(キアヌ・リーブス)はトリニティ(キャリー=アン・モス)との愛を選択し、マシンの侵入を阻むことができませんでした。
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本作で描かれるのはその続きですが、ストーリーは前作でほとんど語られ、あとはシリーズを締めくくるにふさわしいド派手なふたつのアクションシーンが残された形となりました。
まずはザイオンのドックで繰り広げられるマシンと人類の壮絶な戦闘シーン。圧倒的な数と強さで攻め入るセンティネルズに人類は人型の戦闘ロボットで必死に応戦します。最新鋭のCG技術で作られた近未来戦争は凄まじいです。
にもかからず恐怖心が沸かないのは、怒涛のCG映像の中に時折アップで挿入されるだけのキャラクターに痛みが感じられず、感情移入できないからでしょう。精巧すぎるCGよりもやっぱり生身のアクションが見たくなります。
一方、マシンと対峙すべくマシンシティーに向かったネオは、宿敵エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)と決着の時を迎えます。
『マトリックス』はコミックの世界を実写で再現するという発想から始まりましたが、最後のアクションシーンはその真髄を見せつけます。
ただし、スーパーマンを通り越し、魔法使いのようなネオと、ならず者プログラムとなって暴走したスミスの姿はただただユーモラスなだけで、クールでも優美でもありません。
ウォシャウスキー兄弟が革命を起こし、観る者に何かを訴えたかったのだとしたら、それは確かに達成したと思います。
人類がはまった機械信仰の落とし穴からの再生を描いたシリーズにおいて、機械をCG技術と置き換えればハリウッド映画の現状に当てはまります。CG技術に頼りきり、ストーリーの展開しない映画の退屈なこと。過剰なまでにCGを駆使した本作では、人間性の回帰というメッセージの重要性がよく分かります。
革新的なSFアクション映画として多くの人々を魅了したシリーズは身をもってCG映画の限界を証明し、幕を閉じました。
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と、ちょっぴり辛口の感想になってしまいましたが、延々と続くアクションシーンを、私はあまり楽しめませんでした(-_-;)。
でも、世界中の人々に驚きと興奮をもたらした、斬新な映画であることは間違いありません。みなさんはどう思いましたか? 感想を聞かせて頂ければうれしいです( ´艸`)