映画の中の人生 ~50歳からの人生設計~

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バベル(2006)

永遠にバベルの塔を建て続ける人間たちへ
メキシコの俊英イニャリトゥ監督が見せる世界の現実

はるか昔、言葉は一つだった。しかし、人間が神に近づくために天にまで届く高い塔を建てようとしたとき、神は人間の驕りに怒り、言葉を乱し、世界をバラバラにした――。

これは旧約聖書の創世記に記されたバベルの街の伝説です。世界がバラバラになったのは、驕りたかぶった人間への天罰だという。

それならば、未だ現在、世界に争いが絶えず、人々が協調できないでいるのも天罰なのでしょうか? 伝説では未完に終わったバベルの塔。しかし、現実の人間たちは、性懲りもなくバベルの塔を建て続け、驕りを増長させていったのではないのでしょうか?

傲慢さや利己主義により、周囲が見えなくなっている人の実に多いこと。他者を理解しようとしない人々の作る世界が、どんな悲劇を呼ぶのか。メキシコの俊英アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督がモロッコアメリカ、メキシコ、日本の家族をとおして、鮮やかに描き出しました。

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【ストーリー】
ロッコの山間の村で、家畜を守るためにライフルを与えられた少年が、遊びで銃弾を撃ち、観光バスに乗っていたアメリカ人夫婦の妻スーザン(ケイト・ブランシェット)が負傷してしまいます。
アメリカでは、帰国できない夫婦の家を守るメキシコ人乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)が息子の結婚式に出たい一心で、夫婦の幼い二人の子供をメキシコへ連れて行きます。
日本では、耳の不自由な女子高生チエコ(菊地凛子)がライフルの書類上の所有者である父(役所広司)を訪ねてきた若い刑事(二階堂進)と出会います。

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これら銃撃事件がもたらした4つの物語が並行して描かれるのですが、ここに登場する人々の行動に多くのことを考えさせられます。

ロッコの少年とその家族の物語からは、過酷な山間の村に生きる人々の貧困と無知。モロッコの砂漠の村で応急措置しかできず、苛立つ夫リチャード(ブラッド・ピット)の姿を描いたアメリカ人夫婦の物語では、言葉の通じない現地人と、言葉の通じるバスの観光客やアメリカ政府の対照的な対応が興味深いです。人間を隔てる壁は、言葉ではなく心の問題なのだと気づかされます。

アメリアの物語はアメリカとメキシコが抱える問題を浮き彫りにします。アメリアが責任感から子供たちを連れ出したことをアメリカ人は信じようとしないのです。

そして、日本。チエコが象徴するのは深い孤独に苦しむ人間の姿。母の自殺や父との溝、健常者のみならず、同じ障害を持つ友達からも疎外感を感じたチエコが、最後にすがったのが若い刑事。彼に好意を伝えるために体を差し出そうとするチエコの姿は本当に切ない……。

自分の身に置き換えて考えられることもあれば、厳しい世界の現実に驚くしかないこともあります。悲劇的な世界を回避するために、人とつながる方法を探し求めたイニャリトゥ監督は〈まずは家族の絆から〉という結論を出します。

でも、それだけではないはずです。世界の現状と、人々の反応をじっくりと自分の目で確かめ、自分なりの結論を出してほしいです。

公開時、日本では日本が舞台に選ばれたことや日本人俳優が出演していることで、本作は好意的に受け止めていましたが、そんな日本人はラストシーンで激しいショックを受けるでしょう。イニャリトゥ監督の目は厳しいです。


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